「マンガの主人公か!」、とツッコミたくなる1人のデザイナーがいます。
ドラゴンボールの孫悟空や、ワンピースのルフィのようなデザイナー。
自分の前に高いカベが立ちふさがろうと、必殺技でブチ壊して。
ライバルや師匠との運命的な出会いを経験して、どんどんと大きな存在になっていく。
そんな少年マンガの主人公みたいなファッションデザイナー。
そのデザイナーとは、UNDERCOVERのデザイナーである高橋盾氏です。
パンクと出会った中学時代、制服を改造していた高校時代
高橋氏は1969年に群馬県の桐生市に生まれます。
中学性の時は剣道部に所属していたが、惰性で続ける日々でした。
そんな時にある音楽との出会いが彼の人生に影響を与える。
その音楽こそがパンクロック。
マカロニほうれん荘などのマンガも読んでいました。
高校の頃は制服のパンツを自分で細くしていたそうです。あとデッサンも学び、美術の基礎を吸収していました。
そしてたまに東京にきて、アストアロボットでパンクの服を買いにきていた。
パンク以外には、ヒステリックグラマーも着ていました。
そして彼は高校を卒業して、有名服飾専門学校に通い始めます。
そこから彼の人生に変化が起こり始めます。。。
名門服飾専門学校、文化服装学院に入学
高校卒業後、高橋氏は東京の文化服装学院(以下、文化)に入学しました。しかし真面目に勉学に励んではおらず、授業にはあまり出席していなかったよう。
何をしていたかというと、クラブでの夜遊びに力を入れていました。
その夜遊びによって、作ったたくさんの人脈。
この文化での学生時代に高橋氏に大きな影響をあたえる、3人の人物たちと出会います。
1人目の人物は悟空が亀仙人のもとで修行したように、ファッションデザイナーとしての道を与えます。
2人目の人物とは、ルフィとゾロが海賊団を結成したように、2人でブランドを立ち上げました。
3人目の人物とは、裏原ブームの起爆剤となる店を裏原にオープンしました。
そんな高橋氏に影響を与えた人物たちとは・・・
- 一之瀬弘法氏
- NIGO®氏
- MILKのデザイナー、大川ひとみ女史
の3人です。
文化でクラスメイトだった一之瀬弘法氏
まずは一人目の人物である一之瀬弘法氏。彼と高橋氏は文化服装学院でクラスメイトでした。
2人が仲良くなったキッカケは、Tシャツ制作の授業で一ノ瀬氏が作っていたTシャツを見て、高橋氏が声をかけたことから。
そこから二人の親交が始まります。
その翌年の1990年に、2人でUNDERCOVERを立ち上げます。当時はクラスメイトにヴィヴィアンのパクリTシャツを販売していました。
風呂場を真っ赤にして、Tシャツを染めていたそうです。
その後、一ノ瀬氏はUNDERCOVERからは離れ、自身のブランド「ヴァンダライズ」を立ち上げました。
そして同じく文化服装学院の学生で、高橋氏について語る上で絶対に外せない重要な人物がいます。
それが元「A BATHING APE」のディレクターであり、現在は「HUMAN MADE」でデザイナーとして活動しているNIGO®氏です。
裏原伝説のコンビ、NIGO®氏&高橋氏
今でもたまに雑誌で対談を行う高橋氏とNIGO®氏。
この2人の出会いは、文化のフォークソング部でした。実は高橋氏の方がNIGO®氏よりもひとつ年上。彼らは先輩と後輩の関係なんです。
2人はともにヴィヴィアンが好きということで、意気投合しました。
その後原宿に「NOWHERE」をオープンします。 その店がキッカケとなり、裏原宿にどんどんと店がオープンしていき、 裏原ブームが起こります。
その人物とは、まだ無名だった2人をかわいがっていた人がいた、MILKのデザイナーの大川ひとみさん
MILKのデザイナー、大川ひとみ女史
高橋氏は大川女史に、シャネルのジャケットを解体させられていたそうです。
ほとんど無理矢理。
また朝までクラブで夜遊びもしていました。
そして大川女史の計らいで、NIGO氏と雑誌の対談をすることになります。
まさに鶴の一声。
その対談が「LAST ORGY2」です。
「LAST ORGY2」からの「NOWHERE ノーウェアー」始動
LAST ORGY2
「LAST ORGY」は藤原ヒロシ氏&高木完氏がもともとやっていた連載です。
その「LAST ORGY」を引き継いだ形で連載をスタートしました。
「NOWHERE ノーウェアー」
最初はNIGO®のセレクトしたアイテムと、高橋氏の手作りの洋服たちが並んでいた。
当時は若者から絶大な人気があり、店の前に長蛇の列がつくことがほとんどだったそうです。
このノーウェアーによって、その周りにたくさんのブランドショップがオープンしていきました。
それが社会現象の「裏原ブーム」です。
しかし高橋氏もそのキャリア初期には方向性において、悩むこともあったようです。
そんな彼の悩みをキレイさっぱりと吹き飛ばした2人のデザイナーがいました。
- コム・デ・ギャルソンの川久保 玲
- マルタン・マルジェラ
コム・デ・ギャルソンの川久保玲
川久保さんのコム・デ・ギャルソンのショーに、(大川)ひとみさんに連れていってもらったときに、すごく衝撃的だったんだ。そのコレクションは、パンクがテーマで。とにかく服のつくりや細かな仕様が、学校ではとても教えてくれないようなものだった。
「UNDERCOVER JUN TAKAHASHI」RIZZOLI社 P247より引用
えりがビニールでできたジャケットを見て、「自分の方向性は間違っていないんだ」と勇気づけられたという。
その後実際に交流が始まります。
川久保玲がUNDERCOVERのスニーカーを欲しいと言っていることをギャルソンの店員から聞きました。
そのあと高橋氏は慌ててスニーカーを送ります。
そこから高橋氏と川久保女史、2人の手紙のやりとりが始めます。
またUNDERCOVERのパリコレデビューの際には、前夜祭を行いました。
2006年にUNDERCOVERが伊勢丹に出店した際には、ギャルソンの店の壁には「WELCOME U」の文字 が飾られていました。
マルタン・マルジェラ
アンダーカバーのデザイナー高橋盾氏も、かなり初期からのマルジェラファンなんです。
マルジェラもデビューした時にひとみさんに「マルジェラ」って人が出てきたと言ってました(笑)。
渋谷に店があるらしいというので見に行ったら、エレベーターのところにTシャツを着せたボディがあるんだけど、切りっぱなしでロックの糸もどこも始末していない。
四角い無地のぴょんぴょんが付いてて「何だこれ?」だし、バナナみたいなパットの入っている初期の肩の狭いジャケットも、そこら中にダーツが入っているのに衝撃を受けて、「これでいいんだ」と。そういうある意味「ダメ」な見本に衝撃を受けました。影響は大きかったですね。
『SUMIRE』P22より引用
2006年に発刊された「A MAGAZINE」では、2006SSの「T」のTシャツをマルジェラ氏がリメイクしています。
2006SSのUNDERCOVERのTシャツをマルジェラがリメイクしていました。
裏原ブームと脱出
高橋氏は社会現象にまでなっていた裏原ブームに危機感を覚えます。
裏原ブランドのデザイナーは・・・
- A BATHING APEのNIGO®
- NUMBERNINEの宮下貴裕
- バウンティハンターのヒカル
- リボルバーのARATA&KIRI
しかし上記のデザイナーと高橋氏の間で、決定的に違う部分がひとつだけありました。
ストリート目線の美意識だけではなく、モード的な感覚と芸術的感覚、そして造形感覚が優れていた。
高橋氏は芸術的な感性を活かしたレディスのコレクションをつぎつぎに発表していきます。 しかしそこでひとつの問題がでてきました・・・。
まわりの人が着ていなかったから、服をファスナーでバラバラに。
そんな時に気付いたのが、まわりの人たちがみんな自身のデザインした服を着ていないということ。
ここで高橋氏のデザインに大きな転換期が現れます。
あるコレクションをキッカケにそれまでのデザインとは、まったくテイストが変わったんです。
そのコレクションが1997AW「EXCHANGE」です。
このシーズンの服は、ファスナーで袖や襟をバラバラにできて自由に組み合わせができるんです。
また服をデザインする時の手法も、それまでのボディに直接布をあてて形を決めていた立体裁断から、PC上でデザイン画を描くようになりました。
「EXCHANGE」は、マルジェラの「現代アートのようなコンセプチュアルさ」をストリート目線で再解釈している。
こんな作風です。
この作風は「RELIEF」「AMBIVALENT」と、その後の2シーズン続きました。
- ファスナーでパーツがバラバラになる「EXCHANGE」
- アタリでディテールを出した「RELIEF」
- リバーシブルな「AMBIVALENT」
この3つのコレクションを僕は「東京コンセプチュアル3部作」と呼んでいます。
この「東京コンセプチュアル3部作」で何かをつかんだ高橋氏。その後は飛ぶ鳥を落とす勢いで爆進していきます。
この時期にUNDERCOVERが発表していたコレクションは、どのシーズンも非の打ちどころがありません。
- チェック柄を顔までぬった「MELTING POT」
- チュールで服を包み込んだ「ILLUSION OF HAZE」
- 何着もの服を組み合わせて、1着の服が作られている「WITCH’S CELL DIVISION」
そしてUNDERCOVERは、満を持してファッションの本場、パリコレクションで発表をします。
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