むかし僕がファッションデザイナーを目指していた時に、「この服を僕が思いついたことにできないかな・・・」と、熱望した1着の服がありました。
その服を初めて見たのはもう十年近くも前のこと。
僕がまだ服飾学校の学生だった18歳の時です。
その服とはマルタン・マルジェラが1996年に発表した・・・
トルソードレス
今日は昔の僕が「なんとか自分が思いついたことにしたい」と渇望した「トルソードレス」。
そしてその「トルソードレス」を見た時に思い出す、あるアート作品について書きます。
僕と「トルソードレス」との出会い
石川県の高校を卒業して、東京の服飾専門学校に入学した僕。
学校が始まってすぐということと、僕のあまりにひどい人見知りのせいか、入学後しばらくはクラスに友達がいませんでした。
そんな当時の僕の学校での唯一の楽しみは、放課後に学校の図書館に行くことでした。
その日も1日クラスメイトとの会話はなく、授業が終わってから図書館に行って、おもしろそうな本を探して本棚の間をさまよっていました。
そんな中ある本の前で足が止まります。
そのとき目の前にあった本は「身体の夢」。
この本は1999年に、京都国立近代美術館と東京都現代美術館で開催された「身体の夢」という展覧会の図録本です。
ギャルソンにヨウジにジュンヤ。
シャネルにサンローランにトム・フォード。
数々の超大御所デザイナーたちの代表作が載っていました。
その中でも当時の僕に一番の衝撃をあたえたのは、マルタン・マルジュラの「トルソードレス」。
マルタン・マルジェラの「トルソードレス」
「トルソードレス」のデザイナーはマルタン・マルジェラ。
彼は1988年にデビューしてから、20年に渡りファッション界の第一線で活躍したファッションデザイナーです。
「トルソードレス」は、彼のキャリアの中で発表した服の中でも、最高傑作のひとつでしょう。
「トルソードレス」のデザイン自体は極めてシンプルです。
というよりも“デザイン(装飾)をしていないデザイン”と言った方が正しいのかもしれません。
なぜなら「トルソードレス」は、ただトルソーの形をした服だから。
どこのメゾンにも置いてあるドレーピング用のボディを、そのままドレスにしたかのような服。
それが「トルソードレス」です。
僕が思うトルソードレスのすごいところは、4つあります。
- トルソーをドレスにしてしまう発想力
- 素材もめちゃくちゃ安いのに付加価値が恐ろしいことになっている。
- そしてその服を実際に発表する行動力
- 縫製はめちゃくちゃカンタン
トルソーをドレスにしてしまう発想力
「トルソードレス」は誰もが思いつきそうなのに、マルジェラが思い付かなかったら永遠にこの世に生まれなかったであろう服。
トルソーをドレスにしただけの服です。
素材はめちゃくちゃ安いのに、付加価値が恐ろしいことになっている
素材は、1mあたり1000円もしないであろう麻の生地を使っており、構造もカンタンで作るのはけっして難しくはない。
縫製はめちゃくちゃカンタン
服飾学生1年生で、服作りの知識があまりない当時の僕でも作れそうでした。
だけど僕から見ると、何千時間もかけて作られたオートクチュールのドレスの何十倍もの価値がある服。
そして僕はそんな「トルソードレス」を見ると、あるアート作品を思いだします。
それはマルセル・デュシャンが1917年に発表した「泉」です
デュシャンの泉
僕がトルソードレスを見ると思い出すアートは、デュシャンの「泉」。
「泉」は、ただの男性用の便器です。
しかも作者が作ったわけではなく、市販の便器を購入して、サインしただけ。
ただの便器がアート作品?
そんな声が聞こえてきそうですが、「泉」は20世紀の美術にもっとも影響を与えた作品と言われています。
泉のすごいところは、美術を「目で味わう」ものから、「頭で味わう」ものへとアップデートしたところ。
カメラが登場して以来の現代アートは、「アートのルールをいかに広げていくか」に焦点が当てられていました。
ピカソなどが、その好例でしょう。
彼らはそれまでのアート界での常識であった「遠近法」こそが正解であるというルールを塗り替えました。キュビズムで。
それでもまだアートは「目で味わうもの」でした。
そしてデュシャンの「泉」は、先人が広げてきたルールをさらに広げたんです。
便器という誰もが美しいとは思わないモチーフをあえて作品にすることで。
「泉」は旧来の美しいか否か、というルールで計ることはできません。
そしてレディメイドという概念を生み出し、作者本人の手によって生み出した作品でなくても、作品として認められるようになりました。
そして本来は美術品でもなんでもない、ただの男性用の便器を芸術へと昇華させました。
マルジェラの「トルソードレス」とデュシャンの「泉」の共通点
「トルソードレス」は服のデザインを、深く深く根っこの部分まで問い詰めています。
その結果、デザインを行う前に使うトルソーを服にしてしまいました。
その服をファッションの最前線、パリコレで発表しました。
本来は服でもなんでもないトルソーを、最先端のファッションのモードへと。
デュシャンは何の価値も持たない男性用の便器にサインをして、美術館で展示することによりARTへと変換しました。
どこにでもある便器を最先端の現代アートへと。
この2つの作品は、作者自身の自意識と美意識は見ただけではわかりません。
だけどこの2つの作品は作者の手を離れて、見る人の頭の中で完成する作品なんです。
人それぞれの解釈によって。
この共通点が僕が、トルソードレスを見ると、デュシャンの泉を思い出す理由です。
「トルソードレス」はアートではない。 ファッション界に“現代アートの視点”を持ち込んだ服
「トルソードレス」を見たファッション好きの人は、よく「これは、もはやアートだよね」と言います。
でも僕はこの服はアートではないと考えています。
おどろくことにマルジェラはトルソードレスを実際に販売していて、昔友人が大阪のブランド古着屋で見たと言っていました。
僕はマルジェラの作る服はアート作品ではないと考えますが、ファッション界、モード服の歴史に“現代アートの視点”を持ち込んだ服だと考えています。
そういう意味において、トルソードレスは20世期のファッションにおいてもっとも意味のある服である。
僕はそう思います。
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