初めまして、アキラです。
プロフィールをご覧いただき、ありがとうございます。
サラリーマンとして働いている30歳の男です。
好きなことは、
・散歩
・読書
・DVDで観る映画
・一人での晩酌
・カレーを食べること
・UNDERCOVER
・本多孝好さんの小説
・椎名林檎
などなど。
それではカンタンに、僕の生い立ちについて書いていきます。
ものづくりが好きだった子供時代。
子供の頃から成績は中の中でしたが、図画工作の成績だけは3段階の評価でA。友達と遊ぶよりも、一人で何かを作っている方が好きな子供でした。
とにかく何かを作ることが好きで、遊戯王のデュエル・ディスクを段ボールで作ったり、好きな漫画を模写したりしていました。
「CHOKi CHOKi」との出会い、中3の担任の人生を変えた一言。
雑誌「CHOKi CHOKi」との出会い
中学進学後も相変わらず、美術の成績以外は特に目立つところはありませんでした。
そんな僕に一つの出会いが起こって、洋服に興味を持ち始めます。それは中学2年生の冬に近所の本屋で見つけた「CHOKi CHOKi」です。
ファッション誌はその前から読んでいましたが、「CHOKi CHOKi」に出ていたおしゃれキングの“ストリートにモード感が混ざったコーディネート”が新鮮で夢中になりました。
おしゃれキングは全員好きでしたが、特に好きだったのは西村陽一さんでしたね。そしておしゃれキングに憧れた僕は「僕も東京で美容師になろう!」と決意しました。
しかしそんな中学生の僕の夢は簡単に破れます。なぜかというと・・・
僕が異常なまでの人見知りだったから。
勉強のできない中学生の僕でも「美容師って初対面の相手とも話さないといけないんだろうな~」と、想像はできました。そして当時の僕の夢は「俺って人見知りだから、美容師無理じゃん・・・」と、あえなく破り去ります。
中三の時の担任の人生を変える一言
その後中学三年生になった僕。
美容師になる夢を失いましたが、特に将来の進路の目標もありませんでした。
まあ中学3年生で将来の夢を持っている人の方が珍しいので、特に焦ってはいませんでしたけど。
そんな時に中学三年生の時に担任だった先生の一言で、人生が変わります。その先生は美術の先生でした。
ある日、美術の授業で音楽コンクールのポスターを描く授業がありました。
当時は中学三年生だったこともあり、少しふざけて描いて提出したんですね。
そして一週間たった次の美術の授業中に、「お前、ちょっと来い!」と先生に呼び出されました。
その時の僕は「やべっ、さすがにあのポスターやりすぎだったかな?」と不安に思いながら、先生の机へと向かいました。
もう怒られるのは覚悟で心臓をバクバク言わせていた僕は、次の瞬間、先生から出た言葉に耳を疑います。
その時先生が言ったのは、
「お前、デザイナーになってみたくない? 市内にある高校のデザイン科に進学してみないか?」
でした。
その時は「えええ!!!!」って感じでしたね
てっきり怒られると思っていたんで 笑
昔から絵やものを作るのは好きでしたが、自分がデザイナーになる自信なんて全くありませんでした。なので僕はすぐに「いや。無いっス!」と速攻で断りました。
しかし当時から短絡的思考だった僕。
数日後には先生の言葉に影響されて、こう思います「いいじゃんデザイナー!カッコいいじゃんデザイナー!なんかモテそうだし!!」と。
そして高校のデザイン科に入ることを決意しました。
当時はファッションに夢中だったこともあり、ファッション×デザイナー=ファッションデザイナーとかいいかも。
とも考え、高校のデザイン科という目標と共に、ファッションデザイナーという夢も見つけます。
そして次の日、先生に「先生!おれやっぱりデザイナー目指します。高校のデザイン科を受けてみます」と言います。
その日からは受験勉強と合わせて、放課後は先生にデッサンを教えてもらう日々。
絵を描くのは得意なつもりでしたが、絵とデッサンは全くの別ものでした。頭で思っているように、上手く描けない・・・。
その後先生からの指導によって、デッサンはなんとか見れるレベルに上達。そして念願の志望校に受かりました。
ファッションに夢中だった高校時代
UNDERCOVERとの出会い
無事志望していた高校に進学できた僕。入学早々に行った図書室で、またも転機が訪れます。
当時の高校には、なぜかファッション誌「装苑」が置いてありました。中学生の時からファッション誌は読んでいましたが、それはメンズの雑誌だけ。
「たまにはレディスのファッション雑誌でも読んでみるか」と軽い気持ちで手に取ります。そして何を見るでもなく、パラパラとページをめくっていました。
すると、あるページで手が止まったんですね・・・。
そこには、あるブランドの特集ページが組まれていました。そうなんです。それがUNDERCOVER(以下UC)の特集ページでした。
UCの特集ページを見て、衝撃を受けた高校1年生の僕は、「この装苑ください!」と図書室の司書さんに頼み込みました。←今考えると迷惑なヤツだな 笑
運が良いことに優しい司書さんだったので、その「装苑」はいただけることに。あの時の司書さん、ありがとうございます。
「装苑」を読んだ高校生の僕はUCや、レディスのファッションに夢中になります。
その日からは毎日、ファッション誌を読み漁る日々。
UCに関するファッション誌はもちろん、UCとは関係のないファッション誌も読みました。
ファッション誌に読む毎日と並行して、ファッションデザイナーへの夢は膨らむばかり。
家に帰っては、思いついた洋服のデザインをノートに描き始めます。下の写真が、高校生の時に描いたデザイン画。
ノートにデザイン画が溜まっていくのと同時に、東京でファッションの勉強をすることを決意します。
しかしこの時に考えたのはなぜか、「一旦、美大に入って卒業してから、洋服の勉強をしよう!」でした。今思えば、ストレートに服の勉強をすればいいと思うのですが、そして実際にそうなるのですが、この時の僕は本気で「美大に入学する」と思っていました。
当時は美術部に在籍していたので、放課後は美大に入学するためにデッサンを描く毎日。デッサンのレベルはどんどん上がっていきます。
このデッサンを集中的に描いていた経験は、今の僕からするとかなり重要です。なぜなら洋服のデザイン画にも活かせたから。だからこの時の僕に会えるのなら「ありがとう」と一言伝えたい。
デザイン画とデッサンを描いたり、ファッション誌を読んだり、僕の高校3年間はこの3つが軸の生活でした。
高校時代を振り返ると思い出すのは文化祭や運動会。ではなく、家の机に向かってデザイン画を描いていたシーンと、美術室でデッサンをしていたシーンです。
専門学校に入学するために東京へ上京
授業は真面目に聞かずに、図書室で必死に勉強していた専門学生
高校を卒業した後は、東京の服飾専門学校に通うために上京します。その当時住んでいたのは東京都の調布市でした。
今でも東京に行く機会があった時は、むりやり時間を作って京王線に乗り、調布まで行ってしまいます 笑
専門学校に入学後は、授業に真面目に取り組む日々。なんてことにはならず、図書室に行っては昔のファッション誌を読んでいました。
当時の学校の図書室には、ファッション誌のバックナンバーが大量に置いてあったんです。だから、昔のファッション誌が読み放題。
専門学生の時は授業よりも、「図書室に通うこと」に情熱を注いでいました 笑
上の写真は学生の時に図書室に通って、昔の雑誌をコピーして作ったスクラップブック。
サブカルに魅了される日々
そして同時に、小説、映画、音楽などの様々なサブカルチャーに魅了されて、気づけば勉強そっちのけで、吸収、吸収、吸収の日々になっていました。
キューブリック、乱歩、伊坂幸太郎、ジム・ジャームッシュ、パティ・スミス、レディオヘッド、ブランキー、ティム・ウォーカー
などなど、このころ出会ったアーティストは書き出したらキリがありません。
でも何かを作ること自体は好きだったので、課題の洋服のデザインは本気で考えていました。
そんな僕にまたまた転機が訪れます
ある日急に服のデザインが思い浮かばなくなったんですよね。そして最終的には中学生からの夢のデザイナーもあきらめました・・・。
そして「どうしよう?どうしよう?どうしよう?」と考えた末に、もうデザイナーなんてあきらめて、地元に帰ろうと決めました。
就職を機に石川県へUターン
専門学校を卒業した後は地元金沢の企業に就職しました。
戻ってきたばかりのころは、部屋中にあふれかえるものを見てうんざりしていましたが、断捨離にはまって性格が変わりました。
そして現在は、その会社でサラリーマンとして働いている日々です。
会社と家を往復する以外は、とりたてて語ることは無い生活です 笑
働き出して金銭的にも余裕が出来てきたので、好きな本やCDを買って楽しく過ごしています。
ブログ「momenting NOTE」について
僕は20歳位から、いつもノートを持ち歩いています。そのノートには手描きのイラストや覚えておきたいことなど様々な内容をメモしています。
このブログでは僕がいつも持ち歩いているノートに書いた内容を記事にしています。
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